2021-11-12 第206回国会 衆議院 原子力問題調査特別委員会 第2号
鈴木 隼人君 田所 嘉徳君 高木 啓君 高木 宏壽君 土井 亨君 西田 昭二君 野中 厚君 三谷 英弘君 宮澤 博行君 簗 和生君 渡辺 博道君 逢坂 誠二君 伴野 豊君 藤岡 隆雄君 本庄 知史君 山崎 誠君 藤巻 健太君 堀場 幸子君
鈴木 隼人君 田所 嘉徳君 高木 啓君 高木 宏壽君 土井 亨君 西田 昭二君 野中 厚君 三谷 英弘君 宮澤 博行君 簗 和生君 渡辺 博道君 逢坂 誠二君 伴野 豊君 藤岡 隆雄君 本庄 知史君 山崎 誠君 藤巻 健太君 堀場 幸子君
松本 洋平君 宮崎 政久君 宗清 皇一君 山口 晋君 吉川 赳君 和田 義明君 阿部 知子君 大河原まさこ君 大西 健介君 玄葉光一郎君 後藤 祐一君 森山 浩行君 柚木 道義君 吉田 統彦君 足立 康史君 阿部 司君 浅川 義治君 堀場 幸子君
星野 剛士君 三谷 英弘君 宮澤 博行君 宮路 拓馬君 簗 和生君 吉野 正芳君 渡辺 博道君 阿部 知子君 逢坂 誠二君 菅 直人君 伴野 豊君 藤岡 隆雄君 太 栄志君 本庄 知史君 山崎 誠君 伊東 信久君 藤巻 健太君 堀場 幸子君
松本 洋平君 宮崎 政久君 宗清 皇一君 山口 晋君 吉川 赳君 和田 義明君 阿部 知子君 大河原まさこ君 大西 健介君 玄葉光一郎君 後藤 祐一君 森山 浩行君 柚木 道義君 吉田 統彦君 足立 康史君 阿部 司君 浅川 義治君 堀場 幸子君
浩太朗君 一谷 勇一郎君 市村 浩一郎君 岩谷 良平君 浦野 靖人君 漆間 譲司君 遠藤 敬君 遠藤 良太君 小野 泰輔君 奥下 剛光君 金村 龍那君 沢田 良君 杉本 和巳君 住吉 寛紀君 空本 誠喜君 高橋 英明君 中司 宏君 馬場 伸幸君 早坂 敦君 藤田 文武君 藤巻 健太君 堀場 幸子君
浩太朗君 一谷 勇一郎君 市村 浩一郎君 岩谷 良平君 浦野 靖人君 漆間 譲司君 遠藤 敬君 遠藤 良太君 小野 泰輔君 奥下 剛光君 金村 龍那君 沢田 良君 杉本 和巳君 住吉 寛紀君 空本 誠喜君 高橋 英明君 中司 宏君 馬場 伸幸君 早坂 敦君 藤田 文武君 藤巻 健太君 堀場 幸子君
浩太朗君 一谷 勇一郎君 市村 浩一郎君 岩谷 良平君 浦野 靖人君 漆間 譲司君 遠藤 敬君 遠藤 良太君 小野 泰輔君 奥下 剛光君 金村 龍那君 沢田 良君 杉本 和巳君 住吉 寛紀君 空本 誠喜君 高橋 英明君 中司 宏君 馬場 伸幸君 早坂 敦君 藤田 文武君 藤巻 健太君 堀場 幸子君
○石塚参考人 石塚幸子と申します。 本日は、意見を述べる場を与えていただき、ありがとうございます。 私は、匿名の第三者の精子提供、AIDという技術で生まれました。同じく精子提供で生まれた人たちと当事者のグループというものをつくっています。 私が生まれたAIDという技術は、一九四八年に慶応義塾大学で始まり、既に七十年以上の歴史があるものです。
きょうは、生殖補助医療で生まれた当事者である石塚幸子さん、そして研究者である才村眞理先生にもお越しいただいております。御多忙のところ、本当にありがとうございます。 まず、石塚参考人にお聞きしたいんですが、この問題について、あるいは法案についてどのようにお感じなのか、少しまとまってお話しいただければと思います。
本案審査のため、本日、参考人として非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ石塚幸子君及び帝塚山大学非常勤講師才村眞理君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
奥様の幸子様は、主人は最後まで、俺は必ず復帰すると言っておりましたと話しておられました。 まだまだ政治家としてやりたいことがあったのだと思います。志半ばに倒れられたことは、まことに痛惜の念にたえません。 私は、ここに、ありし日の園田博之先生の面影をしのび、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
この数字につきましては、審議会のメンバーでもある患者団体、日本難病・疾病団体協議会の森幸子代表理事も、不認定の多さに驚いた、重症度認定の方法など是正を求めたいということを話しておられますけれども、まず、約十五万人もの患者が助成対象外となってしまったことにつきまして、厚生労働省の見解をお伺いしたいと思います。
はたちまして、一九九一年、ようやくバルト三国、リトアニアがソ連から独立を宣言するということで、日本が、いよいよ国交の樹立だということで、当時、外務政務次官だったのは鈴木宗男先生でありますが、鈴木宗男先生が、外務政務次官としてバルト三国を訪問する前に、ならばやはり杉原千畝さんの名誉回復をしないといけないのではないかということで、時の外務省とかけ合いまして、出発の前、ちょうどたしか二日前だったと思いますが、幸子夫人
ここに紹介してある滋賀県立長浜高等学校福祉科二年の坂下幸子さん、彼女のところに、中学時代にデイサービスの職場体験で、もっと知識があれば認知症の方ともうまくコミュニケーションできたのにと悔しい思いをしたことがあって、それがきっかけで福祉科に進学しましたと。
であれば、私もできる限り早く行かなきゃいけないということで、一月十八日に、原告の方々に直接おわびを申し上げるということで、まずは、実は面会を予定しておりましたけれども、訪問直前に亡くなられてしまった原告松本幸子さんの自宅にお伺いをいたしまして、お線香を手向けて御冥福をお祈り申し上げ、おわびを申し上げた。
執筆者の石塚幸子さんは、父親の深刻な遺伝病を恐れていた二十三歳のときに、母親からAID出生児であることを知らされたということです。遺伝病の恐怖と引換えに、深刻な問題を改めて抱えることになったわけです。 石塚さんはおっしゃっていますが、不妊というその状態が問題であれば、出産でその問題は解決されますが、そうした技術の結果生まれた私たちにとって、生まれたその時点からがスタートであると。
もう一方、森幸子膠原病友の会代表理事にお伺いをいたします。 膠原病で難病指定される病名とされない病名があるということで、わかりやすい一覧表をいただきました。
信彦君 高橋千鶴子君 阿部 知子君 ………………………………… 厚生労働大臣政務官 高鳥 修一君 参考人 (一般社団法人日本難病・疾病団体協議会代表理事) 伊藤 建雄君 参考人 (認定NPO法人難病のこども支援全国ネットワーク会長) 小林 信秋君 参考人 (一般社団法人全国膠原病友の会代表理事) 森 幸子君
本日は、両案審査のため、参考人として、一般社団法人日本難病・疾病団体協議会代表理事伊藤建雄君、認定NPO法人難病のこども支援全国ネットワーク会長小林信秋君、一般社団法人全国膠原病友の会代表理事森幸子君、独立行政法人国立成育医療研究センター理事長・総長五十嵐隆君、稀少がん患者全国連絡会会長松原良昌君、NPO法人線維筋痛症友の会理事長橋本裕子君、以上六名の方々に御出席をいただいております。
そのことは、実は、亡くなった杉原幸子さん、奥様に直接聞いたお話なんですけれども。 こういう方がいて、ユダヤ人の世界では、我々の先祖を救った杉原千畝、皆さん方はセンポと呼びますけれども、この人が、この日本人一人が、六千人のユダヤ人の、ヒトラーの魔の手から逃れる日本通過のビザを書いた。
日本難病・疾病団体協議会の森幸子副代表理事からは、「自己負担額が何倍にもなる制度は命に直結する。患者の生活実態を把握した上で、患者が医療費で悩むことのない制度に」と要望されております。日本ALS協会の岡部副会長からは、「家族との生活をあきらめることにつながる。何のために人工呼吸器を付けて生きていくことを選んだのか分からない」という訴えがなされております。
これ、たしか事業仕分で廃止となったというふうに、記憶が間違っていたら申し訳ないんですけれども、今は小林幸子さんに替わってまだこの事業は続いているようなんですけれども、こういった事業についてはどういうお考えでされているんでしょうか。
先ほど大門委員からも御紹介がありましたが、本日は上嶋幸子様、市川正子様も傍聴されておられます。 衆議院におきましては、更に被害者等への配慮が必要であるとして、重大事故等の被害者等からの事故等原因調査等の申出に対し調査等を行うこととした場合には、その理由を含めて通知しなければならないこととする修正が行われました。 これに加えて、被害者等への配慮の視点で是非御検討いただきたいことがございます。
まず、 「私が死ねば、家族が楽になる」 慢性骨髄性白血病を患う新家幸子さん(51)は二〇〇九年一月、茨城県の自宅で、台所にあった包丁を自分の首に突きつけた。傍らにいた夫の尚員さんは、包丁を握った幸子さんの手を押さえながら、「高額な医療費が彼女を精神的に追いつめていたのか」と、思わずにはいられなかった。
お一人は、パロマのガス湯沸器事故で、浩幸君、当時十八歳ですけれども、亡くされました上嶋幸子さんでございます。もう一人は、シンドラー社のエレベーターの事故で、大輔君、当時十六歳でございますが、亡くされました市川正子さんでございます。お二人とも、企業のもうけ優先で安全管理を怠るという中で、何の罪もない、人生これからという大事な大事な息子さんを亡くされたわけでございます。
本日は、パロマ湯沸器の事故でお子さんを亡くされた上嶋幸子さんが傍聴席の方に来ておられます。御遺族の方は、二度と同じような事故を起こしてほしくないという気持ちで、今日もこの委員会の審議を聞いておられることと思います。 パロマのガス湯沸器に関する事故については、私は、昨年十一月十三日、経済産業委員会で質問をしました。